FSHD顔面肩甲上腕型筋ジストロフィーの父と娘を高齢の母が介護する親子3人家族の住まいの改造である。
父の発症は20代からで現在は歩行器を使用し、娘は10代からこの病と闘い、車椅子を使用している。
娘は優秀な成績で学業を修め、就職後は両親と共に世界中を旅していたが、
現在は病気の進行により身の回りのことが出来ない状況にある。
一家の唯一の柱が70歳を目前にした母であるが、彼女もまた肺すりガラス結節や腎盂腎炎等の既往歴があり、
高齢の身に重い負荷が掛かっていた。
高齢の母の負担を可能な限り軽減し、娘の自立支援を促すリフォームが急務であった。
■FSHD顔面肩甲上腕型筋ジストロフィーとは
発症年齢や重症度には大きな幅があり、顔面・肩甲帯・上腕の筋力低下・筋萎縮が特徴。
進行すると全身の筋力低下が見られるようになる。大きく5つに分類される症状が現れる。
① 筋力低下、筋委縮
② 眼・耳の症状
③ 呼吸機能障害
④ 心臓障害
⑤ 中枢神経障害症状が出現する。
<注意すべき主な症例>
●筋力低下・筋萎縮
・上腕挙上困難(バンザイができない)
・上腕上部の筋肉が減少する。上腕下部から前腕、手指の筋肉は保たれやすい
・筋力・筋萎縮の程度に左右差が見られる。
●呼吸機能障害
・睡眠時呼吸の不安定:肺活量の低下が軽度でも睡眠時の呼吸が不安定な場合がある。
人工呼吸療法が必要な方も少なくない。
●心臓障害
・高血圧が多く、不整脈が一定の割合で報告されている。
・心機能が保たれていても心臓MRIで心筋の線維化や脂肪浸潤が見られる。
■現況における課題
既存平面図
■課題の整理
1.娘は一人でトイレへの行き来や入浴ができない。高齢の母親に介護の負担が重くのしかかっている。
2.父は転倒しやすく、娘は室内でも車椅子生活をしているが、床に段差がありバリアフリーの設備が不足している。
3.各部屋のドア開口部が狭い。娘は母親の家事を手伝いたいと考えているが、車椅子でキッチンに入ることができない。
4.収納スペースが足りない。また既存の家具の高さは車椅子利用者向きではない。
5.娘は空気の質と湿度に関して高い要求がある。また 部屋が寒く、パネルヒーターが付けっぱなしになっている。
●家族の生活リズムの分析
平均的な日常を見ると、母が早朝から深夜まで父と娘の介護に追われているのが分かる。
母も娘も本来の場所ではない状況での寝落ちの習慣が付いてしまっており、母の負担を軽減するには、
生活リズムの改善と娘の自立支援を促すきめ細かな配慮が必要である。
■対応策:安全・健康・快適さ・スマート化をテーマに、家族の生活を整える。
1.検証
→娘が自立した生活ができるように設備機器を仮設し、体験してもらう。改善点があれば改良・検証を重ねる。
2.床の段差を解消し、開口部を拡げ車椅子での移動をスムーズにする。
3.生活リズムの安定
4.スマート化
5.空気・水・温度環境への対応
→免疫系の基礎疾患を持つ人は、ホルムアルデヒドやVOC などの大気汚染に非常に敏感であるため、
空気環境に対する高い要求がある。水質環境も同様である。
■検証
●水廻り模型
トイレや洗面化粧台、シャワー等の水廻りにおいては、設備機器を仮設し、自立した利用が可能か娘に体験してもらった。
そこで機器の高さや位置の検証を行い、トイレにおいては手すりを逆に設置して高さ950mmとし、壁掛け便器に変更して座面高さを500mmに、更に排水ボタンは背面ではなく手すり側の壁への設置に変更した。
●ベッド
娘が自らベッドへの移乗や起き上がりができるよう、ショールームで介護ベッドを体験、選定した。
■床の段差を解消し、開口部を拡げて父と娘の自立支援を促す
【左】玄関/ゆるいスロープと手すりを設置 【中】玄関収納/車椅子で靴の出し入れ可能 【右】玄関からスムーズに移動できるダイニング。右奥の玄関収納は、上部に上着等、下部に歩行器や外用車椅子を収納出来る
全ての部屋の扉は、車椅子での移動を考慮し引戸にしている。
【左】昇降機能付きのテーブル 【右】キッチン
電動昇降テーブルは使いやすい高さに設定可能で、娘側の天板にワイヤレス充電機能も備えている。
歩行器を使用する父のために、椅子に掴まった際に転倒しないよう一つだけキャスター付きではない父専用の固定椅子にしている。
キッチンは、娘の念願だった車椅子での出入りを可能にした。母の手伝いだけでなく、趣味のパン作りも出来る。
厨房紹介動画
■生活リズムの安定化・スマート化
リビング/時間帯によって照度と色温度を変えるサーカディアン照明を採用している。ソファはリクライニング式。
生活リズムを整えるために、あらかじめ設定しておいたサーカディアンモードの照明により、時間帯によって照度が変わる。
サーカディアン照明は、太陽周期に合わせた明るさの変化を再現するもので、午前中は青色中心の光で集中力を高め、午後は赤色中心の光で明るさを落としてリラックスできる環境をつくる。
また、天井にはカメラが設置されており、母が外出中も室内の様子を見守ることが出来る。万が一転倒の際はセンサーで通報されるので安心である。
【左】両親寝室 【右】娘寝室
両親寝室に隣接した娘寝室の入り口は、スポットセンサーで感知すると開く引戸になっている。
電動介護ベッドで自ら移乗・寝起きが出来る。
徐々に筋萎縮で筋力が衰える症例のため、スマート化を徹底した。
【娘寝室】
サーカディアン照明によって、生体リズムを整える。また、空の再現性を追求した青空灯を設置した。
声で開閉できるカーテンの向こうは眺めの良いインナーバルコニーで、電動昇降デスクが設置されている。
【左】洗面化粧台・トイレ 【中】トイレよりシャワー室を見る 【右】シャワー室
娘寝室に隣接したサニタリー。検証によって導いた高さや位置に洗面化粧台とトイレを設置した。
電動昇降便座により車椅子での移乗を促す。手すりも逆に設置することで娘の使いやすい位置になっている。
【左】予備室/3面壁面収納 【中・右】セカンドサニタリー/予備室の左の扉の奥にある。
予備室の窓はこの家で一番眺めが良いということもあり、単なる収納部屋としてだけでなく、母の介護疲れをここで一人になって癒してもらうことも想定している。
■空気・水・温度環境への対応
●パナソニック6恒温ステーション(日本では未発売)
空気環境への高度な要求があったため、パナソニックの6恒温ステーションを採用した。
家庭の上水道に接続して調湿できるエアコンで、室内の温度・湿度・酸素量・空気清浄・静音・気流を調整し、
常に安定した空気環境を維持するシステムである。
高純度食塩水を電気分解して生成した電解水(次亜塩素酸)を遠心破砕式加湿技術によって全館除菌する。
また、ナノイーシステムによって水を霧状に分解し、局所除菌する。自動洗浄・排水で手動でのメンテナンスは不要である。
●水環境
セントラル方式の一次浄水器を採用し、医療機関用の配管で飲料水用浄水器に接続している。
キッチンとダイニングに飲料水用浄水器を設置した。
●全館床暖房にし、給湯温度の安定したボイラーを採用。
改修後平面図
家族構成 | 3人(父(69)・母(69)・娘(42)) |
主要用途 | 集合住宅 |
主な建築場所 | 中国上海市 |
延床面積 | 130㎡ |
竣工年月 | 2023年9月 |